鬼めくり
「鬼めくり」は加子母に古くから伝わる、魔除けの風習。和紙に鬼の顔と13個の点を書き、その下に一筆書きの星を書いたそのお札は「鬼札」と呼ばれ、それを節分に家の戸口に貼ります。
すると家へとやって来た鬼は、手足の指が3本ずつで合わせて12本しかないので、13個の点を数えられません。さらに鬼は一筆書きの星をみて書き方に迷い混乱します。そうしてなんども数えたり書き直しているうちに夜が明けて逃げて行くと言われています。
01お知らせ
02加子母って
四季折々の彩りに染まる山に囲まれ、木曽川水系の付知川、白川の2本の川の源流域で、昔から豊富な山林資源があったことから、江戸時代は尾張徳川藩の飛地領であった歴史もあり、これまでも法隆寺金堂、明治神宮、皇居、姫路城など歴史的建造物の修復にも加子母のヒノキが使われてきました。
現在も20年に一度執り行われる伊勢神宮式年遷宮の御用材は加子母裏木曽国有林からきり出されています。
また、豊かな土地で採れた食材を生かした朴葉寿司やけいちゃん焼き、トマトジュースなどと言った地元ならではの美味しいものもたくさんございます。
木馬曳き
木馬(キンマ)とは、かつて木材を搬出するために使われたソリ状のものをいいます。
枕木のように敷いた木馬道の上を滑らせるようにして運び出されました。
およそ2トンもある木材を運び出すこの操作はかなり難しく、熟練された技が必要とされ、時には運搬中に死傷者が出ることもあったといわれています。
*加子母村史参照
03アクセス
左義長
新年の門松、しめ縄などを焼いて火の神を迎える正月の神事。
左義長の中心部に立てた竹の小枝には、子どもたちが正月に書いた書初めが吊されています。
紙札が炎や煙の乗って高く上がれば、字が上手になるといわれています。
左義長をすべて焼いた後は、残った火で餅を焼いて食べます。ここで焼いた餅を食べると病気にならないという昔からの言い伝えがあります。
*加子母村史参照
04あそぶ
方言
中京経済圏で尾張藩に属しながらも、人の往来が多いため飛騨や信州の言葉も入り交じっている。
また、能や狂言に出てくる言葉が幾つか残っていて鎌倉時代から使われている(諸説あり)
おりょ!やっとかめやったなも
訳)あら、久しぶりでしたわね
どてらんこ
訳)シーソー
なんたらこっちゃ
訳)まぁ、なんてことだ
てんこもり
訳)山盛り
おじゃる
訳)来なさる(敬語)
※鎌倉時代から使われる能や狂言に出てくる言葉が幾つか残っている
*加子母村史参照
05暮らす
中津川市加子母から
はじめる自然のある暮らし
加子母で暮らす。加子母で働く。加子母でつながる。
地に足をつけた、豊かな暮らしが営まれ続けている加子母。
門松(松迎え)
門松のことを松迎えという。故内木又六が森林愛護のために、門松は松の木の幹を使わないで、枝を使うように奨めたので加子母では殆んどの家が今でも枝松を使う。
松の枝は7階・5階・3階の3本、または5階・3階の2本或いは3階2本である。
迎えにいくのは歳男で帰ってきたら吸い物を出してもてなす。迎えた松はお松立ての縄で縛って家の束に置き、一升瓶に米・田作り・串柿を入れて供える。
*加子母村史参照
06買い物をする
岐阜県中津川市の最北端にあります 加子母(かしも) のモノをお届けするオンラインショップです。故郷から離れて暮らす方々へ、何からで加子母に関わりのある方々へ、「カシモール」を通して加子母のことを思い出してくれたら嬉しいな…なんて願いを込めてお届けします。
また、これから加子母を知って興味を持っていただく方へ、加子母の事業者さんのこだわりや良さを知っていただける記事とともに商品を購入いただけるサイトです。このサイトは、加子母むらづくり協議会が企画し、特定非営利活動法人かしもむら(NPOかしもむら)と加子母広報システムセンター(アリッツ株式会社)が運営しています。